花鳥画

讃岐の円山四条派

2022/9/3  

左:馬場景泉「日の出花鳥図」、右:森琴岳「青緑山水図」 讃岐における円山四条派の系譜をみると、まず安芸雲峰の名があげられる。雲峰は寒川郡津田の豪商の家に生まれ、寛政享和年間に活躍した。幼くして円山応挙 ...

風流を好んだ松平左近と讃岐の勤王家たち

2022/9/3  

松平頼該 左:瓢鮎図、右:松に鶴図 松平頼該(1809-1868)は高松藩八代藩主・松平頼儀の長男として江戸小石川高松藩邸に生まれ、のちに「左近」と改名した。文武両道で、書画、和歌、俳句、茶道、華道、 ...

讃岐の南蘋派、三木文柳・亀井東溪・戸塚茗溪

2022/9/3  

三木文柳「鮮魚図(鯛鱸海老図)」 讃岐の南蘋派画人としては、三木文柳(1716-1799)と亀井東溪(1748-1816)が知られている。文柳は、もと阿波の藩士で、幼いころから画を好み、京都に出て修業 ...

引き継がれる竹石の画系、佐々木雲屋・兒島竹處と門人

2022/9/3  

佐々木雲屋「花卉図巻」(部分) 長町竹石の高弟として知られる佐々木雲屋(1776-1831)は、幼いころから画を好み、竹石に師事して絵事を学び、「虹の滝」の席画が認められて藩主に召し抱えられた。山水、 ...

高松藩の狩野派、元祖・狩野常眞と高松藩御用絵師の系譜

2022/9/3  

狩野常眞「叭々鳥図」 江戸時代は幕府の御用絵師に狩野派が登用されていたため、全国的に狩野派の絵師を召し抱える藩が多く、高松藩においても二代藩主松平頼常の頃、もしくは初代頼重の終わり頃に、狩野派の絵師・ ...

伊予の南画、全盛から現代南画へ

2021/7/9  

林涛光 左:「石槌画賛」賛:半井梧菴、右:「面白の滝画賛」賛:半井梧菴 吉田蔵澤(1722-1802)やその門人たちによって確立されていった伊予南画は、しだいに広がりを見せる。小松藩絵師となった森田南 ...

伊予松山藩の住吉派絵師、遠藤広古・広実

2021/7/9  

遠藤広古「月に雁図」 江戸の狩野派は武家社会に受け入れられ、日本各地で絶大な勢力を誇った。伊予松山藩においても、初代の松本山雪から明治にいたるまで、代々狩野派が御用絵師を引き継いでいたが、その途中で、 ...

西条藩絵師・小林西台と各藩の狩野派

2022/9/5  

小林西台「花鳥之図」 木挽町狩野の流れは伊予の地に急速に広がり、大洲藩にやや遅れて西条藩からは小林西台(1794-1854)が出た。西台は、大洲藩の若宮養徳(1754頃-1834)と同じ木挽町狩野の門 ...

幕末から明治前期にかけての土佐を代表する画人・河田小龍と門人

2023/9/27  

河田小龍 左:上杉謙信陣中詠詩之図、右:山中常盤図 河田小龍(1824-1898)は、様々な絵画様式や技法を会得して南北合流の画人と呼ばれた。知識人としても広く活躍し、アメリカから帰国したジョン万次郎 ...

土佐に来て影響を与えた画人、種田豊水と名草逸峰

2021/7/9  

種田豊水「花鳥図」 土佐の人ではないが、幕末から明治にかけて土佐に来て影響を与えた画人に、種田豊水と名草逸峰がいる。種田豊水は長門国(現在の山口県)に生まれ、小田海僊に学び旅絵師となり、蒔絵を土佐に伝 ...




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