中国故事

小田海僊と防長の門人

2021/7/9  

小田海僊「陶弘景図」 周防国富海に生まれた小田海僊(1785-1862)は、京都に出て四条派の松村呉春に学び、松村景文や岡本豊彦と名声を競ったが、頼山陽から絵に品格がないと指摘されたことから、学問を積 ...

菅茶山・頼山陽の広島の門人

2021/7/9  

小早川文吾 福山が誇る儒学の大成者・菅茶山は、京坂地方や江戸で与謝蕪村、池大雅ら多くの著名文人と交友し風雅の道を究めたが、その生涯の大半を郷土の神辺で過ごし、私塾などを通して地元の教育に尽力した。また ...

福山藩を代表する円山四条派の画人・藤井松林と門人

2021/7/9  

藤井松林 藤井松林(1824-1894)は、福山藩士の子として福山城下長者町に生まれ、幼ないころから画才を発揮、14歳で福山藩から絵師の加勢を仰せ付けられ、高田杏塢や吉田東里に画の手ほどきを受けた。の ...

東京に出て学んだ岡山の日本画家

2023/9/26  

大林千萬樹「胡笳の声」 岡山の日本画家は京都で学ぶものが多かったが、伝統的絵画の革新が急速に行なわれた東京に出て学ぶものもいた。富岡永洗、鏑木清方に師事して江戸期の歴史風俗に取材した美人画を多く描いた ...

岡山の四条派、人物の柴田義董と山水の岡本豊彦

2021/7/9  

柴田義董「群仙図」 岡山の地からは、二人の円山派の大家が出ている。当時、四条派内で「人物は義董、山水は豊彦」と謳われ、京都の人気を集めた柴田義董(1780-1819)と岡本豊彦(1773-1845)で ...

幕末の異色の南画家・藤本鉄石

2021/7/9  

藤本鉄石 左:西園雅集図、右:菊花図 藤本鉄石(1816-1863)は、備前に生まれ、25歳のときに脱藩して京都に移り住み、やがて尊皇攘夷思想に共鳴し、文久3年、天誅組を組織して総裁となり、大和で倒幕 ...

広重版画にも使われた『日本勝地山水奇観』の著者・淵上旭江

2021/7/9  

淵上旭江・宮本君山「唐武将図」 備前に生まれ、諸国を歴遊したのち大坂に定住した淵上旭江(1753-1816)は、各地の名勝を描いた画と詩による版画集『日本勝地山水奇観』を寛政11年に刊行した。同書はの ...

美作津山藩の初代御用絵師・狩野洞学

2021/7/9  

狩野洞学「唐絵写巻 学李龍睡図」 美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌 ...

備前岡山藩の狩野派

2021/7/24  

池田綱政「文殊図」 備前岡山藩の御用絵師は、狩野三徳、狩野自得、長谷川常時の狩野派三家が代々つとめていたされるが、狩野守則、長谷川常時、長谷川常宇らの作品が少数残っているのが確認される程度で、伝わる資 ...

武人画家・宮本武蔵

2021/7/9  

宮本武蔵「布袋観闘鶏図」(重美) 二刀流の剣豪として名高い宮本武蔵(1584-1645)も岡山ゆかりの画人である。「二天」と号して画筆をとり、個性豊かな作品を残している。出生地は美作説のほかに播磨説も ...




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