湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

72.静かな夜

第一話:静かな夜

最近は池袋西口ばかりで飲んでいて、それも同じ店でダラダラと飲む毎日だったのですが、先週末は場所は相変わらず池袋西口だったのですが、数ヶ月ぶりに行くワインバーをのぞいてみました。

店に入ると相変わらず店内には誰もいなくて、初老のバーテンダーが手持ち無沙汰にしていて、ボクが店に入ると素っ気なく、「ああ、いらっしゃい、久しぶりだね」と低い声で言うと、「最近どう?」と続けました。

その店はカウンターだけの小さな店で、ボクはカウンターの真ん中辺に座ると、「最近ろくなことがないんですよ」と、とりあえず彼の質問に答えてから、「こんな時に飲む白ワインはありますかね」と付け加えました。

まあ、これはこの店の決まり文句のようなもので、そんな都合のいいワインなんてあるはずがないのですが、その初老のバーテンダーはニヤリと笑うと、「ぴったりの白ワインがありますよ」とお決まりの台詞を言い、奥からワインの瓶を持ってきて、ラベルを見せながら薀蓄を語るわけです。

ひととおりしゃべり終わると、彼は馴れた手つきでワインをグラスに注ぎ、テーブルの上を滑らせながら、ボクの前に持ってきました。

ボクがそれを一口飲んで、「うん、いいワインだ」と適当なことを言うと、彼は満足してカウンターの隅まで戻り、BGMを聞いてちょっとリズムを取ったり、グラスを磨き始めたりするわけです。

彼は、ボクがこのグラスのワインを飲み干すまで、もう話しかけることはありません。それもまたこの店の慣習のようなもので、だから、グラスにワインが残っている限り、ボクの自由時間は終わらないのです。

ボクはもう一口ワインを飲んでから、思わず「静かな夜だ」とつぶやきました。

第二話:仙人のような男

一杯目のワインがなくなりかけ、次をたのもうとしてふと顔を上げると、ちょうど次のお客さんが入ってくるところでした。

その客は白髪に白い髭を蓄えた老人で、髭は胸のあたりまで伸びていて、まるで山から降りてきた仙人のようでもあり、天から舞い降りたばかりの神様のようでもあり、不思議なことにどこかで会ったことがあるような気もしました。

初老のバーテンダーが何も聞かずに、その男の前にグラスを置きワインを注ぎ始めたところを見ると、かなりの常連のようにも思えたし、注ぎ終えたバーテンダーが何も言わずにカウンターの隅に戻ったところを見ると、それほどの馴染み客ではないような気もしました。

ボクはしばらくその老人の動きを気にしていたのですが、頃合いをみて次のワインをたのもうと隅にいるバーテンダーの方を向いたところで、ちょうどその老人と目が合ってしまい、老人はすかさず「あんた、美術は分かるかね」と話しかけてきました。

こういう飲み屋では、特にカウンターでは客同士が世間話をすることは珍しいことではないし、話しかけられても嫌な気はしないのですが、いきなり美術が分かるかどうか聞かれても返答に困ってしまいます。

おそらくこんな場合、分かりますと答える人はいないでしょうし、せいぜい「美術は好きですけど、よく分からないんですよ」くらいの答えをするのが妥当でしょう。

まあ、こんなことでムキになっても仕方ないので、ボクもそんな感じで答えようとしたのですが、その男は返事などまったく聞く気がなかったようで、すぐに「見たこともないようなすばらしい画家を見つけたんだよ」と嬉しそうに言うと、一冊の図録を懐から取り出しました。

ボクはその図録を見て、絶句しました。

第三話:見たこともないすばらしい画家

老人が出した図録の表紙には「熊谷守一」と書いてありました。

ということは、彼は今まで熊谷守一を知らなかったということです。だからこそ熊谷守一を「見たこともないすばらしい画家」と称したのでしょう。もちろん美術に興味がなければそんなこともありますが、この池袋西口で長年飲んでいれば熊谷守一の絵を見ないということは考えられません。

というのも、この池袋西口の付近は、その昔「池袋モンパルナス」と呼ばれ、多くの美術家たちが住み、多くの作品と語り尽くせない逸話を残した場所なのです。今でもなにかといえば町おこし的に「池袋モンパルナス」は使われ、「Echika 池袋」ができる時にも多少のコンセプトの無理はありましたが、池袋モンパルナスが使われました。そばには熊谷守一記念館だってあります。

だから老人の人生経験からいって、たとえ熊谷守一の名前を知らなくても、ポスターやチラシなどで、作品はどこかで目にしているはずです。

と思ってはみたものの、そんなことを言っても仕方がないので、ボクは老人の話に相槌を打ちながら聞くことにしまいた。思えば、美術品を語るのにいちいち知っているとか知らないとか言っていても始まりません。

ボクは図録のページをめくりながら熱心に説明する老人の話を生返事をはさみながら聞いていました。

はっきりとは聞き取れなかったのですが、老人はしきりに「いい絵だ、いい絵だ」と言っているようでした。

ボクは腕を組んだまま、ワインをお代わりするタイミングを計っていました。

第四話:蟻は左の二番目の足から歩き出す

老人の話を聞いていると、熱心に話しているようでいてそうでもなく、絵の核心をついているようで、はぐらかしているような、人生を語っているようで、意味のない独り言を繰り返しているような、そんな感じでした。

話し方は一定のリズムがあるで、支離滅裂なようでもあり、それがまるで前衛音楽のようでもあり、邦楽の伝統を踏まえているようでもありました。そして老人は、ときどき話の後に「へたも絵のうち」と付け加えました。

ボクはいつしか夢心地になっていました。

だんだん日常の些細なことなんてどうでもよくなっていきました。今まで何に悩んでいたのかさえ分からなくなりました。ボクがこのワインバーに入ってきた時は、少なからず絶望していたはずです。これからどうやって生きていくか深く悩んでいたはずです。しかし、今ではそんなことはどうでもよくなっていました。それは、勇気や希望がわいてくるというよりも、不安や絶望が消滅していっているような感覚でした。

やはりこの人は仙人なのだ、とボクは確信しました。

最初の印象では90歳は超えているように見えましたが、時が経つごとに若者のように思えてきました。これは仙人の証しです。間違いありません。

ボクは老人の方を向き、思い切って「あなたは仙人でしょう」と切り出すと、続けて「どうかボクにこれから歩むべき道を教えてください」と懇願しました。

すると仙人は、少年のような無垢な笑顔を見せ、そしてすぐに真顔になり、「蟻は左の二番目の足から歩き出すんじゃよ」と、いかにも仙人らしい「教え」をボクに授けてくれました。

ボクは自分の左の脇腹あたりをそっとさすってみました。

最終話:池袋モンパルナスの夜は更けて

それにしても「蟻は左の二番目の足から歩き出す」とは、なんと示唆に富んだ言葉なのでしょう。仙人はふがいないボクを蟻に例えたのです。

確かにボクは蟻のように毎日毎日働いています。もちろん本心はどこか南の国でのんびり暮らしていきたいと願っているのですが、どうしたことか毎日毎日惰性のように働いています。まさに「働き蟻」です。おまけにまったく進歩していません。気が遠くなるような時間を生きてきて、まったく先に進んでいないのです。

しかし今、その理由がわかりました。ボクがまったく進歩していないのは、最初の一歩を踏み出していなかったからなのです。最初の一歩を踏み出していないのだから、どんなに時間が過ぎても、悪戯に歳を重ねるだけです。

しかし、仙人の言葉で目が覚めました。希望も湧いてきました。そう、今からでも遅くはないのです。すぐにでも最初の一歩を踏み出さなければなりません。

ボクは固い決意で、左の二番目の足を踏み出そうとしました。しかし、ボクの左の二番目の足はピクリとも動きませんでした。動かそうとすると、なにか重いものがまとわりついてくるような重苦しい気分に見舞われ、まったく足を動かすことができませんでした。

しかしここで諦めるわけにはいきません。今までも事あるごとにそうやって諦めてきましたが、今日はそうはいかないのです。なにがなんでも第一歩を踏み出さなくてはなりません。ボクはありったけの力を左の二番目の足に集中し、えいっと気合いを入れて動かそうとしました。しかしやはり足はビクともせず、ボクはその反動でイスから転げ落ちてしまいました。

うめきながらイスに座り直そうとしていると、バーテンダーが心配そうにのぞき込んできて、ボクがなんとかイスに座ると、「ちょっと飲みすぎたんじゃない」と冷やかに笑い、またカウンターの隅に戻っていきました。

ボクはすぐに仙人の姿を探しました。仙人に努力している姿勢を認めてもらいたかったのかもしれません。しかし仙人の姿はどこにもなく、カウンターの上に図録が残されているだけでした。

ボクはイスに座り直し、図録を手に取って開けてみました。図録の最初のページには白髪頭で胸まで髭の伸びた熊谷守一が、つまらなそうな顔をして載っていました。

ボクは図録から目を離し、カウンターの隅で相変わらずグラスを磨いているバーテンダーの横顔を眺めながら、「やっぱり静かな夜だな」と図録を閉じながらそっとつぶやきました。

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