湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

66.餃子

第一話:クスリは食後に

最近は東京でも雪が多くて、週末ごとに降っているような印象です。

もちろん雪が降ったからといって、ボクはコートなんて決して着ないのですが、土曜日はさすがにちょっと寒いような気がして、ひょっとしたらボクは薄着かも、とか思いながら寒風の中を歩いていました。それでも寒がっている人に会うと、「今日はちょっと涼しいかも」とか言って強がっていたのですが、夕方くらいから頭が痛くなり、クシャミは出るわ鼻水は出るわで、久々に風邪を引いてしまいました。

それでも日曜日はなんとか出かけたのですが、さすがに昨日は辛くなってきて、朝からずっと寝ていました。

夕方になってなんとか起きられるようになったので、近所の薬局に行き風邪クスリを買ったのですが、注意書きに「食後30分以内に飲んでください」とあったので、ボクは途方に暮れてしまいました。

せっかくのクスリですから、よく効くように用法は守ろうと思うのですが、困ったことにその日は食欲がまったくなくて、朝から何も食べていませんでした。これではクスリを飲むわけにはいかないし、だからと言って飲まないわけにもいきません。

ボクは困ってしまい、薬局の前でずいぶん悩んでいたのですが、そんなに悩んでいてもしょうがないので、歩きながらよい方法を探そうとあてもなく歩きだしました。

商店街を抜けたあたりで、ちょっと気になったのは、すぐに帰るつもりだったので素足にサンダルで出てきたことでした。ボクはこれではひょっとしたら寒いかもしてない、と思ってはみたのですが、引き返すのも面倒くさいので、とりあえず歩きつづけました。

第二話:習慣とは恐ろしいもので

その日は比較的気温は高かったのですが、夕方になるとやはり冷え込んできて、道行く人たちはコートのエリを立て背中を丸めて歩いていました。というのに、ボクときたら素足にサンダル履きですから、まるで夏場の銭湯帰りのような出で立ちで、とても風邪引きの格好ではありませんでした。

そんなこともあり、とにかく一刻も早く現状を打破しなくてはならないと思い、とりあえずラーメン屋に入ることにしました。

食欲はまったくなかったのですが、とにかくクスリを飲むためには何か食べなくてはならないし、ラーメンならなんとかなると思ったのです。メンはあまり食べられなくても、スープくらいは飲めるだろうし、スープといえば食事も同然です。

店に入るとすぐのところに食券の販売機があったので、その前でひと悩みした後、あっさりした味のものが食べやすいのではないかと思い、塩ラーメンのボタンを押しました。と、その時思ってもみなかった出来事が起こったのです。

ボクは塩ラーメンのボタンだけを押すつもりだったのですが、指先が勝手に動いてしまい、餃子のボタンも押してしまいました。これにもさすがのボクも唖然としてしました。確かにいつもはラーメンを食べる時、必ずと言っていいくらい餃子も注文するのですが、その日はまったく食欲がなくて餃子なんて食べられるとは思えませんでした。なのに勝手に指が動いてボタンを押してしまったのです。まったく、習慣とは恐ろしいものです。

いつまでも悔やんでいたところで仕方ないので、ボクは塩ラーメンと餃子の食券を持って、カンターの席に座りました。

第三話:餃子大作戦

席に着くと店員が愛想よく「お冷」を持ってきたので、食券を渡し、ちょっと店内を見渡してみました。その店はカウンターに座ると店の奥まで見通せる構造になっていて、奥にもまだお客さんは誰もいませんでした。

ボクはとりあえず、食べられるかどうかのシミュレーションをしてみることにしました。食欲はまったくなかったのですが、食べ物の形を思い浮かべれば意外に食べられそうになるかもしれません。

しかしその結果、ラーメンはなんとかなりそうなのですが、餃子は無理のようでした。普段では考えられないことですが、餃子の姿を思い浮かべただけで気持ちが悪くなりました。これでは、とても食べられそうにありません。

だからといってせっかく作ってくれた食べ物を残すわけにはいきません。ボクは餃子を食べずに店員の気分も害さないような作戦を考え、ついにいいアイデアを思いついたのです。

その作戦とはこうです。

まずスープは飲まずにラーメンのメンを何とか半分くらい食べます。それから餃子をスープの中に沈めて見えなくしてしまいます。これなら一見するとメンと餃子は完食したけれどもスープを残してしまったように見えます。そしてここからが肝心なのですが、ラーメンを食べながら「最近血圧が高いから塩分を控えなきゃな」と何度か独り言を言います。そうすればスープが残っていても、店員は「ああ、健康を考えてスープは飲まなかったんだな」と納得するに違いありません。

まさに完璧な作戦です。方向性が決まると気分も晴れやかになるもので、ボクはちょっと背筋を伸ばして厨房の中をのぞくような素振りを見せました。すると、その様子を見ていた店員はボクを見てニヤリと笑い、「中国製ギョーザだけど大丈夫?」と言い、またニヤリと笑いました。

突然のことだったのでボクは思わず「な、なんだって大丈夫ですよ」と風邪引きとは思えないくらい勢いよく答えて、ハッとあることに気づきました。

最終話:つかの間の奇跡

彼が「中国製ギョーザ」と言ったのは、もちろんジョークで、農薬が混入した「中国製ギョーザ」が話題になっているので、あえてそう言ってみたのでしょう。もちろん店で出す餃子とニュースになっている「冷凍ギョーザ」とはまったく関係ないので、ここは笑ってすませばいいだけの話です。

しかし、ボクには笑えない理由がありました。

彼の話し方から判断すると、おそらく彼は中国出身で、まだ日本に来て間がないように思えました。だとすると、ボクが苦心して編み出した「餃子大作戦」が通用しないことになります。この作戦のカギは「最近血圧が高いから塩分を控えなきゃな」とつぶやくところにあるのであって、彼がこれを正確に理解できなければ、成功は望めません。

おまけに彼が中国出身だとすると、彼は自分が作る餃子に神経質になっているかもしれません。だからお客さんに冗談めかして「中国製ギョーザ」と言ってみて、反応を見ているのかもしれません。もちろんそんな話を聞いて餃子を食べなかったお客さんなんて今までいなかったでしょうから、ボクが餃子を食べなかったら、初めての客になるだろうし、彼を傷つけ絶望させることになります。

そんなことを考えながら思い悩んでいるうちに、ラーメンも餃子も出来上がってしまい、彼はニコニコしながら持ってきて、「美味しいよ、中国製ギョーザ」と言い残して去っていきました。

ボクは頭を抱えてしまいました。まったく食欲はないし、必殺「餃子大作戦」も使えないのだから、どうしようもありません。ボクはそのまま考え込んでしまいました。

どのくらい時間が経ったでしょうか、ふと人の気配がしたので見上げてみると、険しい顔をした彼が立っていました。

その表情を見てボクがアタフタとしていると、彼は困ったように「なに考えてたの?早く食べなきゃダメじゃない。餃子冷えちゃったよ。もうお土産ね」と言いながら、お土産用のパックを取り出し、餃子を詰め替えてくれました。

ボクは天を仰ぎました。奇跡が起きたのです。こんな友好的な解決法があったなんて思ってもみませんでした。これなら二人とも傷つくことはありません。ボクは心の中で「やはり神は存在したのだ」とつぶやきました。そして、指を組み感謝のポーズをとろうとした時、彼はあまりにも友好的なことを言い出したのです。

「いまお客さんがいないから、特別サービスでもう一皿作ってあげるよ。今度は目の前で食べるんだよ、中国製ギョーザ。」

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