湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

56.断言の町

第一話:見知らぬ駅にひとり

このところ酒の量を減らそうとしているのですが、その反動かいざ飲み始めると歯止めがきかず、徹底的に飲んでしまう傾向にあります。

先週末もちょっとした切っ掛けで飲み始め、散々飲んだ挙句に、一人になってもハシゴ酒が止められず、徹底的に飲んでしまいました。

しかし、その日は不思議なことに飲んでも飲んでも酔うことはなく、眠くもならず、グチも言わず、ただ静かに強い酒をグイグイと飲んでいました。あげくの果てに飲み代ばかりがかさみ、飲み屋の店長からは、すばらしいお客さんだと誉められる始末で、ボクは「これじゃあ、酔っ払い失格だよね」と笑いながら店を出ました。

と、ここまではハッキリ覚えているのですが、次に意識が蘇ったのは見知らぬ駅で、ボクはひとりポツンとホームに立っていました。

ふと我に返るとはこのことで、まったく酔っている意識はなかったのですが、かなりの酒の量だったので、電車に乗った瞬間に酔いが回って酩酊状態になり、外に出て冷たい空気に触れて意識が戻ったのかもしれません。

しかし、ホームにはまだ人がいたし、深夜というわけでもなかったので、それほど深刻なことではないと思い、とりあえず次に入って来た電車に乗ろうとして、ふと、カバンを持っていないことに気づきました。おそらくさっきの電車に忘れてきたのでしょう。

ボクは慌てて、忘れ物の届けを出そうと改札口に向かいました。

第二話:頼もしい若者

ホームの階段を降りていて気づいたのですが、この駅はけっこう大きなターミナル駅のようで、改札には自動改札機がズラリと並び、その端に事務所がありました。覗き込んでみると、若い駅員さんがすぐに気づいて、愛想よく近寄ってきました。

愛想よくと言っても、彼は大きなマスクをしていたので顔の細かい表情は分からなかったのですが、明らかに目がにこやかに笑っていて、ボクは内心、今時こんなにも優しい目をした若者がいるのかと、驚いてしまいました。

彼は話をしても、すこぶる好青年で、ボクがカバンを電車に忘れたようだと言うと、「それはお困りでしょう」とまゆを極端に下げて嘆き、ボクが出てきますかねと心配そうに尋ねると、「なんとかしましょう」と胸を張りました。

もちろん忘れ物ですから、彼がどんなに一生懸命になっても、出てこないものは出てこないのですが、「なんとかしましょう」と断言してくれたおかげで、いくぶん気持ちが落ち着き、もうカンバなんて出てこなくてもいいような気さえしてきました。

こんな場合、彼のように断言することは責任問題にも発展しかねないので、誰だって言葉を濁したいはずです。なのに彼はボクを安心させるために、あえて断言してくれたのです。
     
ボクは彼の心意気に感激して、「出てくると助かるんだけど」と親愛の意味を込めて言いました。すると彼は、自分の言葉が弱かったからボクが安心しきれていないのだと判断したのか、さっきよりさらに強く、「大丈夫です。なんとしてでも探し出します」とキッパリと言い切ってくれました。

ボクはどこまでも頼もしい駅員の言葉を頭の中で反芻しながら、フワフワと夢心地で改札口を出ました。べつに駅の外に出る必要はなかったのですが、もう少しこの駅のそばにいたいと心から思ったのでした。

第三話:鮮やか天気おばさん

駅の外に出てみると雨が降っていました。駅の構内にいる時は気づかなかったのですが、かなり本格的な降りで、傘がなければとても歩けそうにありませんでした。

これはコンビニでビニール傘でも買うしかないと思い、駅前を見渡していた時、隣にいた中年女性が「こりゃひどい降りだわ」と独り言のように言うと、ボクに向かって「ねえ」と話を振ってきました。

突然ではありましたが、ボクはそれほど驚きませんでした。これはよくある話で、一般的に言っておばさんは天気の話が大好きです。寄ると触ると天気の話をしています。晴れたとか曇ったとか、暑いとか寒いとか、よくも飽きずに言い合うものです。しかし、ボクだって大人ですから、こんな場面には慣れています。ボクはにこやかにその中年女性の方を向き、「こりゃ止みそうもありませんね」といつになく愛想よく答えました。

するとその女性は、これ差していきなよと自分の傘を差し出しました。

驚いているボクに彼女は、「いいんだよ、この雨はあと30分で止むし、それまであたしは駅の外に出ないからね、傘はあんたが帰る時、そこに置いといてくれればいいよ」と言いながら駅ビルの入り口を指差し、「明日も明後日も天気はいいよ」と付け加えると、ニッコリと笑い、駅ビルの中へと入っていったのでした。

ボクは渡された傘を持ったまま唖然としていました。

彼女は、この雨が30分で止むとどうして断言できるのでしょうか。現に雨は大降りで、とても止みそうにありません。さらに明日や明後日の天気も断言していました。もしや優秀な気象予報士なのでしょうか。としても、こんなにも鮮やかに断言できるものでしょうか。

ボクは傘を持ったまま、考え込んでしまいました。

第四話:あれもこれもその通り

しばらく考え込んでいると、雨がピタリと止みました。

ふと我に返り、ずいぶん考え込んでしまったなと思いながら時計を見ると、ちょうど30分経っていました。と言うことは、さっきの中年女性の予言が当たっていたことになります。ボクはちょっと気味が悪くなり、とにかく彼女が指定した駅ビルの入り口の端に傘をそっと立てかけ、急いで駅を出ました。

それにしても、どうして彼女は30分で雨が止むと断言できたのでしょうか。それに彼女は予言しただけでなく、親切にも見知らぬボクに自分の傘を貸してくれたのです。しかも傘を返す場所として彼女が指定したのは、人通りの多い駅ビルの端で、それでは傘を他の人に持っていかれるかもしれません。道行く人を信用しているということでしょうか。それとも、もう雨は降らないことに絶対的な自信があり、傘を持っていかれることはないと確信できたからでしょうか。

ボクは不思議なこともあるものだと思いながら、雨上がりの街を歩きました。駅のすぐそばには大きな繁華街があり、居酒屋などが延々と並んでいて、その中のひとつに「ろばた焼」の看板を見つけ、とりあえずその店に入りました。

店に入ると客は誰もいなくて、店主らしき初老の男性が「へい、らっしゃい」と威勢よく迎えてくれました。彼は見るからに気のいい大将といった風体で、ボクがカウンターに座るとすぐに、「ほらよっ」と貝の入ったお吸い物を出してくれました。ボクは素直にそれを一口飲み、そのまろやかな味わいと体中に染み渡るような暖かさに、思わず「ふー」とため息をつきました。

それを見ていた大将は、「ほらね、ちょうどそいつが飲みたかったんだろ、体は正直だよ」と誇らしげに言うと、満面の笑みを見せました。

ボクは心の中で「その通りです」と答えずにはいられませんでした。

最終話:思いやりの町

それからも大将は次から次へと料理を出し続け、一品ごとに「もうけっこう飲んできたんだろ、これを食うとさっぱりするぞ」とか、「その体形だと尿酸値が高めだな、これを食っとけ」とか、一つひとつ断言しながら料理を出してくれました。その強い言葉のどれもが的確で、無骨な中に身にしみるような思いやりが感じられました。

しばらくその店にいて、大将の「そろそろ帰ったほうがいいぞ、明日も早いんだろ」という忠告を受けて店を出て、駅までの道をのんびり歩きながら考えました。

この町で出会った人たちはみんな、自分の言葉に責任を持ってキッパリと断言していました。そして、それは相手に対する思いやりがそうさせているようでした。

若い駅員は、ボクがカバンを置き忘れて不安がっていると思い、彼にはなんの責任もそこまでの義務もないのに、必ず探し出しますと言って安心させてくれました。傘を貸してくれた女性は、雨はすぐに止むからと言い切って自分の傘を差し出し、ろばた焼の大将は、強制的な料理の出し方をしながらも、そこには相手の健康を気遣う細やかな気配りが感じられました。

本来なら責任回避のため、見ず知らずの人のために断言などする必要はないはずです。しかし、この町の人は、見知らぬ他人のために勇気を持って断言し、その強い言葉に精一杯の思いやりを込めているのです。まさにこの町は断言の町であり、思いやりの町なのです。

そんなことを考えながら、大通りの横断歩道を渡ろうとした時、青信号が点滅しているのに気づき慌てて立ち止まりました。この長い横断歩道では、とても渡りきれそうにありませんでした。ところが、ボクの前にいた大きな荷物を抱えたおばあさんは、信号に気づかないのか横断歩道を渡ろうとして歩き出していました。

ボクは素早くおばあさんの前に回り込り、やさしく「信号はすぐに赤に変わりますよ」と断言し、ごく自然に「荷物を持ちましょうか、おんぶしましょうか」と言いながらしゃがみ込み、いままでの人生で披露したこともないような笑顔を見せました。

もちろん、こんなことなどこの町では当たり前のことですけど。

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