湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

48.のぞみ

第一話:京都行き

先週の土曜日は京都に用事があったので、午後3時過ぎに東京駅から新幹線に乗りました。

連休中だったからか土曜の午後にしては車内は込んでいて、空いている席がなかなか見つからなかったので、ボクは通路をどんどん歩いていきました。

普段は電車ではあまり座ることはないのですが、やはり京都までとなると長丁場なので、そうも言っていられません。

三号車から二号車を通り越して一号車まで来たところで、二人掛けの通路側の席が空いているのを見つけました。他の車両にくらべて一号車は空いているようで、他にもいくつか空いている席はありました。

その席の窓側には若い男性が座っていて、ボクは彼に「ここ空いてますか」とかなんとかありきたりな言葉を掛けながら座りました。

しかし、心の中では深く彼に詫びていました。

せっかく二人掛けの席に一人でゆったりと座っているところを、隣に座って窮屈な思いをさせるわけですし、彼だってどうせなら隣には綺麗な女性にでも座ってほしかったに違いありません。

ボクはそんなことを思いながら、ものすごく控えめに座りました。

車内は11月とは思えないくらい温かくて、ちょっと汗ばむくらいでした。

第二話:二人連れの女性客

車内は蒸し暑かったのですが、ボクはいつものように11月とは思えないくらい薄着だったので、けっこう快適で、目を閉じているとだんだん眠くなっていきました。

しばらくうつらうつらとしていたのですが、そばで「こことここに座りたいんですけど」という女性の声がしたので、目を開けてみると、その女性はボクに話しかけているのではなく、斜め前の席に座っている男性に話しかけているようでした。

その女性は二人連れで、二人とも若い女性でした。

彼女が話しかけている男性は、斜め前の三人掛けの席の通路側に座っていて、ボクの前の二人掛けの通路側の席も空いていたので、おそらく彼女はその男性に三人掛けの真ん中の席に移動してくれと言っているのでしょう。そうすれば彼女とその友達は通路を挟んで隣同士の席になれるというわけです。

その男性はあっけにとられていたのですが、すぐに彼女が言っている意味を理解したらしく、「いいですよ」と短く言うと真ん中の席に移動しました。

思い通りの席に座れた彼女たちは、お互いに「座れてよかったね」と明るく言い合っていました。

第三話:みんな脱いだほうがいいよね

通路を挟んで座った女性二人は絶え間なく話し続けていました。ボクは目を閉じて、その会話を聞くとはなしに聞いていました。

それにしても若い女性というのは大胆なもので、男だったら先に通路側の席に座っている人に真ん中に移動しろとは言えません。

なんといっても、通路側の席は車内販売が来た時にすごく便利です。だから、好んで通路側の席に座る人もいるだろうし、あの男性もそうだったかも知れません。

通路側の席に座っていて車内販売が来たら、まずビールを買い、次に「つまみは何があるのかな」と販売員のお姉さんに聞きます。するとお姉さんはやさしく商品を紹介してくれるので、それを聞きながらワゴンの中のつまみをゴソゴソと選ぶのです。思い浮かべただけでも身が震えるような至福のひとときです。

しかし、その楽しみも真ん中の席に移動させられたのでは半減してしまいます。いや、閉ざされたと言っても過言ではないでしょう。

そんなことを考えているうちに、女性たちの会話が途切れたので、どうしたことかと薄目を開けて見てみると、一人の女性が上着を脱いでいるところで、彼女は脱ぎながらもう一人の女性に「ねえ、なんか暑くない」と聞いていました。

確かに車内は満員状態になっていて、一段と蒸し暑くなっていました。

聞かれた女性も「そうね」と答えながら同じように上着を脱ぎ始め、「暑苦しいから、みんな脱いだほうがいいよね」と続けたのでした。

その一言を聞いて、車内に緊張が走りました。

第四話:子羊たちの沈黙

いくら蒸し暑いからといって、新幹線の中でうら若き女性が「みんな脱いだほうがいいよね」はありません。きっと連れの友人が「ええ~、なに言ってんのよ」とかなんとかツッコミを入れて話は終わるに違いありません。

誰もがそう思って安心していただろうに、連れの女性の答えは違いました。彼女は「あ、そうね、みんな脱いだほうがいいよね、このままじゃ暑苦しいわ」と躊躇なく同意したのでした。

なんと彼女たちは車内で全部服を脱ごうというのでしょうか。

周りはほとんど男性客だったのですが、みんな慌てて寝たふりをしました。しかし、彼女たちは堂々と立ち上がり、周りの男性客を見渡しながら言い放ったのです。

「みなさん暑苦しいので、上着を脱いでください」

寝たふりをしていた男性客は意外な展開に目を開けるきっかけをなくしたようでしたが、女性たちの「早くっ、早くっ」という声に追いやられるように、一人また一人と上着を脱いでいきました。

そして、ほとんどの男性客がワイシャツ姿になり、車内は幾分涼しげになりました。

満足した女性たちはまたおしゃべりを始めたのですが、身ぐるみを剥がされた男性たちは、子羊のように黙りこくっていました。

最終話:子羊たちの運命

ボクは最初から上着を着ていなかったので、彼女たちに上着を脱ぐように言われても、どうすることもできませんでした。なんたって、着ているのはシャツ一枚なのですから、これを公の場で脱ぐわけにはいきません。それは大人のエチケットです。それでも、どうしても脱がせたいと言うなら、夏の太陽でも連れて来いってなもんです。

周りの男性客たちは相変わらず押し黙ったままで、ボクは腕を組み、目を閉じ、彼らの身を案じました。従順な子羊と化した彼らには、これからいろいろと理不尽な要求が突きつけられるに違いありません。この新幹線は「のぞみ」なので次は名古屋まで止まりません。しばらくはこの状態が続くということです。

静かな車内には、彼女たちのおしゃべりだけが響いていました。

しばらくして、一人の女性がふと何かを思い出したように「ねえ、京都に着いたらハードスケジュールだから、今のうちにちょっと寝とこうよ」と言い出しました。もう一人は眠たくないようで、乗り気ではなかったのですが、言い出した彼女は自信ありげに「すぐに眠れるわよ」と言うと、すっくと立ち上がりました。

ボクは悪い予感がしました。きっと子羊たちの身に災難が降りかかるに違いありません。

果たして悪い予感というものは的中するもので、その女性は立ち上がると、厳しい声で「さあ、子羊たち、一匹ずつこの通路で飛び跳ねるのよ」と男どもに命令しました。やはり思った通り、彼女は子羊たちが順番に跳ねる様子を連れの女性に見せて、彼女を眠りに誘おうというのです。

ボクは目を閉じたまま、その言葉を聞いていました。上着を脱いでいないボクには彼女の魔術はかかっていないようです。

しばらくして窓際の方から、「めぇ」と答える声がしたような気がしました。

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