湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

45.誕生日

第一話:やっと復活

どうやらジョギングのし過ぎのようで、右ひざを痛めてしまいました。最初はすぐに良くなるだろうと思っていたのですが、一向に直る気配はなく、どんどん歩きにくくなっていきました。

こりゃあ大変だと思い、整骨院に行って、整形外科に行って、貼り薬を大量に買い込み、4種類のサポーターを試してみて、最近ではやっと歩けるようになってきました。しかし、まだ痛みが残るので、昨日も整骨院に行ってきました。

その整骨院はよく行くので受付の人とは顔なじみなのですが、昨日受付に居たのは以前2、3度顔を会わせた程度の若い女の子だったので、どうせボクのことなんか覚えているはずがないと思って、診察券を出して、いつものようにソファに座ってコミックを読んでいました。

そのうち順番が来て、ボクはコミックを持ったまま、ベッドに向かいました。

ベッドではうつ伏せになって膝に電気を流すのですが、受付の女の子がそれをやってくれるので、ボクはちょっとウキウキしながら、「ひざが痛いんですよう」とか言いながらベッドに寝そべりました。

彼女は「ここですか、ここですか」とか可憐に位置を確かめながら電気の装置を付け終わると、しばらく間を置いて唐突に「松原さんは10月18日生まれなんですよね。私も同じなんですよ」と言うと、「もうすぐですよね」と声を弾ませました。

ボクは驚いて、ベッドでうつ伏せのまま飛び上がりそうになりました。確かにボクの誕生日は10月18日で、それはカルテに書いてあるので彼女が知っていても不思議ではないのですが、あまりにも弾んだ彼女の声に、膝に流れる電流が超高圧に感じ、体がバウンドしそうになったのです。

もちろん誕生日が同じというだけでは驚くほどのことはありません。単純に考えれば、365人の人に会えば一人は同じ誕生日の人がいる計算になります。しかし、重要なのはお互いに意識し合えるかどうかということで、今まさにボクたちは、お互いに「おめでとう」と言い合える仲になったわけです。

ボクはいつになく心躍ったのですが、それでも大人の冷静さを失うことなく「そりゃあ、すごいね」とうつ伏せのまま素っ気なく答えました。そして、膝に電気を流している間中、もっとマシなリアクションはなかったのかと、いつものように後悔したのでした。

第二話:普通でいいですか

整骨院を出て、膝の具合がよくなったような気がしたので、ちょっと足を延ばして床屋に行くことにしました。と言ってもその床屋は整骨院の三軒隣にある超ご近所さんなのですが…。

床屋に入ると予想通り空いていて、先客は一人だけでした。この床屋の良いところは、店員がまったく世間話をせずにひたすら散髪に精を出すというところで、話しかけてくることと言えば、「どれくらい切りますか」と「これでどうでしょう」と「どこか痒いところはありませんか」と「お疲れさまでした」の4つだけです。

おまけにBGMはラジオのFM放送で、女性アナウンサーの声でどこの誰からのリクエストですと言うと曲を流すという繰り返しで、聞いているとだんだん気が遠くなります。まさにここは昼下がりのダラダラ感を心ゆくまで満喫できる都会のオアシスなのです。

ボクは今日はどれくらいダラダラしようかと思いながら散髪台に座りました。もちろん店員は「どれくらい切りますか」と聞いてくるものだとばかり思っていました。ところが彼は何を思ったか「普通でいいですか」と聞いてきたのです。

いきなり「普通」と言われても困ります。だいいち基準が分かりません。知り合いの顔を思い出してみても、普通と呼べるような人はいないし、見本になるような人を想像できません。もちろんボクは「特殊」や「奇抜」を望んでいるわけではないのですが、このまま「普通」を押しつけられるわけにはいかないような反骨心も芽生えてきました。

と、いろいろと言い分はあったのですが、ボクは適当に「はい」と答え、店員はいつものように無言で髪を切り始めました。まあ、これはたいした改革ではないらしく、次の店員のセリフはお決まりのもので、ボクは安心していつしか気が遠くなっていきました。

驚くべきことはレジで起こったのです。ボクがいつもの料金を払おうとすると、店員はまったく表情も変えずに「誕生日割引」になりますと言うと、余分にお釣りを渡してくれました。

店を出てボクは考えました。確かに初めて来た時に何かに誕生日を書き込んだ記憶はありますが、パソコンもないこの店でボクの誕生日が分かったのは驚きです。

そして店員が言った「普通でいいですか」の意味も分かりました。彼が言ったセリフの略した部分を補ってみると「(明日は誕生日だからパーティ用のセットにしましょうか、それとも)普通でいいですか」だったのです。

第三話:誕生日の朝は…

毎年、この時期になると涼しくなって過ごしやすくなります。さすがに半袖ではまずいかなと考え始める時期でもあります。しかし、街を歩いている時は快適でも、喫茶店に入るとムッとすることも多いので、そんな時は季節感のない白クマでも思い浮かべて涼むことにしています。

今朝もいつものように喫茶店に入ったのですが、店内はちょっとムッとした感じだったので、さっそく白クマのことを思い浮かべました。

アイスコーヒーを注文し、ぼんやり外を眺めていると、おととい会った整骨院の女の子の言った言葉がふいに浮かんできました。

彼女は、自分がボクと同じ誕生日だと告げてから、「占いによると、10月18日生まれはリーダーシップがあるそうですよ」と付け加えました。ボクはうつ伏せになっていたので彼女の顔は見えなかったのですが、きっと若さに溢れたハツラツとした表情をしていたに違いありません。

ボクも散々占いやら性格判断は見てきたつもりですが、我々にリーダーシップがあるとは思いもよりませんでした。

ボクはアイスコーヒーを一口飲み、腕を組んで考えました。

店内にはスロージャズが流れ、とても朝とは思えないような退嬰的な雰囲気だったのですが、彼女の言葉を思い出すたびに、ボクのハートは若々しく再生されていきました。

「リーダシップか…」

ボクは小さく声に出して確認してみました。

第四話:誕生日の夜は…

昨日の夜は、最近お気に入りの小料理屋で飲んでいました。

カウンターに座りビールを飲みながら、「実は今日は誕生日なんだよ」とママに打ち明けると、ママはわざとらしく「あら」と驚き、「いくつになったの」と聞いてきました。ボクが年齢を答えると、ママはまたわざとらしく「あら」と驚き、「若く見えるわねえ」とかなんとかお決まりのセリフを続けました。

店内には他に数名の男性客がいて、みんな四十歳代くらいでした。この店の客層はだいたいこんなものです。

ボクとママの会話がひと段落すると、隣の男性客がママに「私は46歳だけど若く見えるかな」と話しかけました。ママは「そうねえ」と言いながらわざとらしく首をかしげて間を置き、気の利いた答えを探しているようでした。

この時ボクは言い知れぬ使命感に駆られ、男性客の方を向きました。そして低く静かに「ではあなたは郷ひろみより5歳年下です」と告げました。

それを聞いたママは、待ってましたとばかりに「あら」とわざとらしく驚くと、「それじゃあ、ぜんぜん若くないわね」と笑い、店内にも和やかな笑いが広がり、言われた本人もまんざらではない顔をしていました。

しかし、ボクは笑うことができませんでした。

ボクが彼にこの話をしたのは、笑いを誘うためでもなければ豆知識を披露するためでもありません。彼に認識しておいてほしい事実があったのです。実は、この「郷ひろみより何歳年下か」ということには重大な意味があって、それを理解した時から恐るべきカウントダウンが始まります。

そう、これは四十代の男性に向けた警鐘ともいえる告知なのです。

最終話:真夜中のリーダーシップ

10月18日生まれの人にとっては常識ではありますが、郷ひろみもまた10月18日生まれなのです。自分と同じ誕生日の芸能人の動向というものは、知らず知らずのうちに記憶に残ってしまうもので、ボクも郷ひろみがどのような活動をしてきたかよく知っています。その彼が、しばらくの休養の後50歳で復帰し、50代を人生のクライマックスにするというようなことを言っていたこともハッキリと覚えています。

だからボクにとって、郷ひろみとの年齢差は、そのままクライマックスへの猶予期間を意味するのです。ほかの人にとっては理解不能でしょうが、そうだからそうなのです。だから隣で飲んだくれている46歳の男は、もうそろそろ猶予期間の終わりを意識しておかなくてはならない年齢なのです。

ボクはそんなことを真剣に考えながらも、グダグダと焼酎のロックを飲んでいたので、そろそろ帰ろうかなと思った時には、もうとっくに終電の時刻を過ぎていました。

酔った頭で、こりゃあ大変だと思っていたのですが、隣の46歳の男も同じようなことを考えていたらしく、「昔みたいにボウリングにでも行くかな」とポツリと一人ごとを呟きました。

ボクはそれを聞き逃しませんでした。そして確信しました。彼はボクの話を理解していたのです。そしてさっそく人生のクライマックスに向けての準備を始めようとしているのです。それが真夜中のボウリングなのです。

いい歳をした社会人にとって、平日の夜中のボウリングほど無意味なものはありません。しかし、無意味なことだからこそやる意味もあるのです。人生の再構築には、日常の破壊と無への回帰は必要不可欠です。

しかし彼は躊躇しているようでした。やはり明日の会社のことが気になるのでしょう。だからといって、今ここでチャンスを失えば、彼は人生のクライマックスをうまく迎えられないかもしれません。

ボクは言い知れぬ使命感に駆られ、勢い良く立ちあがると拳を強く握り締め、それを天に突き立てながら叫びました。

「今こそ、ゴーだ。池袋じゅうのピンをぶっ倒してやれ」

10月18日生まれらしい見事なリーダッシップを発揮した一瞬でした。

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