湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

36.床屋ブルース

第一話:苦悩の数ヶ月

床屋に行こうと思いたったのが数ヶ月前で、それから週末になる度に行こう行こうと思っていたのですが、なかなか達成できずに時間だけがどんどん経っていきました。

どうしてそんなに床屋に行けないのか自己分析してみると、おそらく、床屋に行くというだけの目的だけでは物足りなくて、いつも他の用事と組み合わせようとして失敗してきたのだと思います。

たとえば、この数ヶ月の間、日曜日はいつも床屋に行こうと思っているのですが、いざ家を出ようとすると、せっかくの日曜日に床屋に行くだけではもったいないので、その前にプールにでも寄ってサッパリしてから行こうと思うようになります。

そして、いざプールに行くと、その後はやはりサウナに寄ってしまい、サウナの後はやはり焼肉で、というように、悦楽の連鎖を断ち切れなくなってしまい、床屋に行く機会を逸してしまうのです。

また、ある日曜日は朝から雨が降っていて、こんな日こそ床屋に行こうと一度は思うのですが、いざ家を出ようとすると面倒くさくなって、雨の日は読書をしなくては、ボクの生涯の目標である「晴耕雨読の生活」に反するのではないかと勝手に結論づけて、結局行かずに家でダラダラしてしまうわけです。

週末はこんな調子なので、平日の仕事帰りに寄ればいいかと思ってもみるのですが、いざ行こうとすると、何かと用事があって、わざわざ平日に床屋に行くこともないだろうと思うようになり、そんなこんなで数ヶ月が経ってしまったわけです。 

そんな苦悩の日々が続いたある日、その時は突然訪れたのです。

第二話:クルクル看板

先週の土曜日は珍しく泥酔しなかったので、日曜日の朝は早く目覚めました。

目が覚めると、カーテン越しに柔らかい光が差し込んできていて、ボクはそれに誘われるようにベランダに出てみました。空はすっきりと晴れていて、風が心地よく、気温は暑くも寒くもなく、それでいて日差しが暖かいという、あらゆる条件が完璧にそろった、典型的ないい天気でした。おそらく一年の中でも1日か2日しかないほどの、まさに晴天の中の晴天といえるものでした。

ボクはベランダで暖かい日差しを受けながら、見慣れた景色をぼんやりと眺めていました。

ふと何か動くものが視野に入ったので、そちらの方を見てみると、マンションのすぐそばの木の陰に、なにやら回転しているカラフルな物体を発見しました。

その物体が何なのかはすぐに分かりました。それは、大体の床屋の前に置いてある3色のクルクル回る円柱で、呼び方はよく分からないのですが、回転看板と呼ぶべきものなのでしょうか。

ボクは朝の日差しを受けながら、そのクルクル看板をしばらく眺めていました。

その看板がある場所はたまに通るので、今まで気づかなかったということは、最近できたものなのでしょう。駅に向かう道とは反対側にあるので今まで気づかなかったのかもしれません。

そんなことをぼんやりと考えていました。すると次の瞬間、ボクの意志と反して体が勝手に動き出しました。

ボクはその場で小さくステップを踏むと、ものすごい勢いで部屋を飛び出し、階段を一気に駆け下りてクルクル看板を目指して走り出したのです。

頭の中では、どうしてこんなことをしているのだろうと、冷静に考えていたのですが、体が勝手に動くというか、どうにも止められませんでした。

ボクは稀に見る晴天の中、春の風に同化するようにクルクル看板に向かって爆走したのでした。

第三話:葛藤する魂

走りながら考えました。

体は情熱的に行動してしまっているのですが、頭の中は冷静だったので、爆走しながら今の自分の置かれている状況を分析してみました。

まずボクがグルグル看板に向かってこうして爆走しているのは、ここ数ヶ月間床屋に行こう行こうと思いながら、その願いがかなわずにいたことが大きな要因だと思われます。そのため突然目の前に現れたグルグル看板を見て、そこに床屋があるのだと思い、居てもたってもいられなくなったのでしょう。

しかし現実にはグルグル看板があるからといってそこに床屋があるとは限らないのです。

もしかしたらあのグルグル看板は、看板マニアの人が一時的にあそこに置いて楽しんでいるのかもしれないし、現代美術家が作品の一部として展示している可能性だってあります。

なのにボクはあそこに床屋があるものと決め付けてこうして爆走しているのです。

ボクは戸惑いました。もしかしたら存在そのものに意味を持っているかもしれない個人的な「主張」を、貧相な連想によって商業的な「手段」と決め付けてしまっている恐れがあるのです。

ボクはとりあえず止まろうとしました。一度立ち止まって考え直そうとしたのです。しかし体が言うことを利きませんでした。何がなんでも今日は床屋に行くのだという覚悟のようなものが体の中から湧き出ていて、どうにもそれを打ち消すことができなかったのです。

もうすでにグルグル看板は目の前に迫っていました。

第四話:パイプ椅子の男

グルグル看板は近くで見るとけっこう大きくて、赤と白と青の帯が回転しながら上昇していました。

その回転をボクはずっと見つめていました。と言うより、そのグルグル看板から目を反らすことができなかったのです。

グルグル看板のすぐそばにはパイプ椅子に座った初老の男性がいて、ずっとボクを見ていました。その視線があまりにも強くて、どうしてもその男性の方を向く気になれなかったのです。

辺りには床屋らしき店はなく、どうやらこのグルグル看板はこの男性の持ち物のようです。横目で観察した限りでは、男性は白衣も着ているし、全体の雰囲気からして床屋のおやじに間違いないようです。

ではなぜ、店もないのにこんなところに看板を置いて一人で座っているのか、興味はあったのですが、それ以上にボクには彼の方を向けない理由がありました。

それは、彼がスキあらば話しかけてやろうと狙っていたのが分かったからです。彼はきっとボクと目が合うと、にこやかに微笑みながら「いい天気ですね」とか「今日はお休みですか」とか「これからどちらか行かれるんですか」とか聞いてくるに違いありません。

だいたいボクが知っている床屋はみんなそう言います。そんな時、ボクはいつも答えに困って、「ええ」とか「まあ」とか「いえ」とか答えるしかなくて、自分でも情けない思いをしています。いつだってそうです。

ボクはグルグル看板を撫でたり小さく叩いたりしながら、なんとか男性に話しかけられないようにしていました。

最終話:大人になれない

まるで拗ねた子供のように看板を指先でグリグリしながら考えました。

いくら床屋での世間話が苦手だからといって、もう大人なんだからキチンと対応しなくてはいけません。それに床屋でなくても天気の話題とか、どうでもいいことを話しながら大人というものは打ち解けていくものです。

ボクは会話のシミュレーションをしてみました。

まず床屋さんはボクと顔があったら「いい天気ですね」と言ってくるに違いありません。これは定番です。そうしたらボクは「いい天気ですね。こんなに天気がいいと体が自然に動きますよ。ここまで走って来たんですよ」と答えればいいのです。まったくの真実ですから何の問題もありません。

次に「今日はお休みですか」と聞いてきたら、ちょっと自重気味に「休みなんですよ。だけどこんなに早起きしたのは久しぶりですよ。昨日は珍しく深酒しなかったから」と言いながら小さく笑えばいいのです。そうすれば相手も笑ってくれるし、場も和むというのものです。

また「これからどちらか行かれるんですか」と突っ込んだ質問をしてきたら、決して慌てることなく「いやあ、予定はないんですけど、こんなに天気がいいと出かけないわけにもいきませんね」と明言を避ければいいのです。相手だって本当に予定を知りたいわけじゃないだろうし、これで気が済むでしょう。

ボクはいろいろな場面を想定しながら、万全の準備をしました。そして心の準備が出来たところで、意を決してパイプ椅子の男の方を向きました。もう不機嫌な高校生じゃないんだから「べつに…」なんて失礼な返事は絶対にしない覚悟でした。

そのパイプ椅子の男は、予想通りボクを満面の笑みで向かえてくれました。そして笑いながら「どこか痒いところはありませんか」と聞いてきたのです。

ボクは絶句しました。確かにこの質問は床屋さんの定番ではありますが、どう考えてもシャンプーの最中に使う質問です。まさか最初からこの質問が来るとは思わず、何の準備もしていませんでした。

ボクは少し間を置いてから、「べつに…」と答えるのが精一杯でした。

↑ PAGE TOP