湯上がり文庫は、「湯上がりの恥ずかしがり屋」に掲載された、愛と哀愁に満ちたショートストーリー集です。

35.マンガ喫茶の男

第一話:都会のオアシス

最近は歩き回っているとすぐに疲れ果ててしまい、休憩しようと喫茶店を探すのですが、なかなか適当な店が見つからなくて、たまに見つけてもほぼ満員状態で入る気がしません。

先日も新聞や雑誌を置いていて静かな喫茶店を探していたのですが、入れるようなところがなくて、しょうがなくマンガ喫茶に入ってみました。

マンガ喫茶は初めてだったのですが、入ってみるとその充実ぶりは驚くべきもので、まず料金が安くてセルフサービスの喫茶店並みなのですが、飲み放題です。おまけに騒音の元になるおばちゃんたちが居ないので、店内はとても静かです。パソコンもあるので調べものをするのも便利だし、個室なんて空いていたら、もう都会のオアシスです。

と言うわけで、たまにマンガ喫茶に行くようになりました。

先日の土曜日、銀座を歩いていたら、やはりすぐに疲れ果ててしまったので、マンガ喫茶に入りました。しかし、ちょうど時間帯が悪かったようでパソコンの席はいっぱいで、しかたなくリクライニングシートに座って、ジュースを飲んでいました。

すぐに店内は満席になって、ボクの隣の席にも荷物をいっぱい持った男性が座り、しばらく放心状態で窓の外を眺めていました。

きっとこの男性もボクと同じように疲れ果てていて、座れるところをやっと見つけて一息ついているのだと思い、男性の事は気にせずに料理関係のコミックを読んでいました。

もちろんその時は、隣の男性はちょっと休憩しにマンガ喫茶に入ってきたのだと思っていました。

第二話:動かない男

料理ネタのコミックは、連載物をいきなり読んでもある程度の人物設定が分かっていればすぐに理解できるもので、30分くらいで読むのに適しています。

それにボクが読んでいたのは以前からあるシリーズで、「流れ板」が全国を旅しながら各地で料理勝負をするというもので、一話だけ読んでも内容はよく分かります。

おまけにこのコミックの内容はとても分かりやすくて、流れ板が料理勝負をして、それに人間模様が絡むというパターンで、「よ、待ってました」的な展開になっています。

ボクはそれほど集中することなくそのコミックを読んでいました。

隣の男は依然としてリクライニングシートに浅く腰掛け、窓の外を眺めていました。

彼は背中に大きなリュックサックを背負っていたので、それ下ろさなければ寝そべることは出来ないのに、リュックを背中から下ろす素振りもないし、両手には何が入っているのか大きな紙袋を提げたままでした。

大きなお世話ではありますが、だんだん気になってきました。

しかしここは大都会のオアシスです。他人に干渉されないことが唯一の喜びである、沈黙の楽園なのです。ボクは出来るだけ隣を見ないようにしてコミックを読み続けました。

何度か横目でチラッと見てみましたが、男は依然として外を眺め続けていて、動く様子はまったくありませんでした。

第三話:料理勝負

隣の動かない男が気にはなったのですが、ボクはコミックを読み続けました。

コミックの内容は、流れ板が電車に乗っている場面から始まり、駅に着いて働く店を探すといういつもの展開でした。

流れ板は有名人で、どの料亭に行っても受け入れられるのですが、働いているうちに様々な人たちの思惑で、料理勝負をしなくてはならない流れになっていきます。

今回の相手は難敵で、料理の腕は流れ板と同じくらいで、風格もあります。

しかし、結局、料理勝負は流れ板の勝ちになりました。料理の出来は互角だったのですが、料理を乗せている食器に差が出たのです。流れ板が使った食器のほうが料理にマッチしていたという理由で、その場に居合わせた常連客から選ばれた審査員たちは乱れることなく満票で流れ板の勝ちと判定しました。

すばらしい眼力です。どこの世も審査員というのは重要なものです。

お決まりの結果になって、さてもう出ようかと思ったところに、隣の「動かない男」がちょっと動きました。

ボクはあわてて座り直し、またコミックを読み始めました。というより読むふりをして男の動向を観察しました。

男は持っていた両手の紙袋を床に下ろすと、リュックも背中から下ろしました。

床に置いた紙袋の中を男が確認するように覗き込んでいたので、ボクも気づかれないように後から覗き込んでみました。中身は何か小さなおもちゃみたいなものがビッシリ入っていたのですが、それが何なのかはハッキリ分かりませんでした。

男は見とれるように、しばらく袋の中身を見続けていました。

第四話:再現される名場面

男は紙袋の中に手を入れて何かを探していたのですが、しばらくして取り出したのは小さな電車の模型でした。彼はそれをテーブルの上に置くと、今度は線路の模型を取り出し、その上に電車を置きました。

次に男は駅の屋根のようなものを取り出し、次は改札、ベンチと、次々に取り出し、テーブルの上には駅の風景が出来上がりました。

ここまで見ていてボクには大体の想像がつきました。

おそらくこの男は鉄道マニアで、ちょっとした時間とスペースがあれば、いつも駅のジオラマを作って楽しんでいるのでしょう。まあ、そんな趣味の人はいるものです。

ボクは納得して、もう店を出ようかと思ったのですが、男のジオラマ作りはまだ続いていたので、途中で席を立つのも無粋なので、もうしばらく見ることにしました。

男は駅とその周辺が一通り出来上がると、次に人間のフィギュアを取り出しました。

そのフィギュアは男性のもので、男は別の紙袋から衣装を取り出すと、器用にそのフィギュアに着せていきました。まずズボンをはかせ、腹にサラシを巻いて、その上から半纏を着せました。

だんだん出来上がっていくフィギュアを見ていて、ボクはその人物に見覚えがあることに気づきました。いや、見覚えというより、今までずっと見ていた人物でした。なんとそのフィギュアは今までボクが読んでいたコミックに出ていた「流れ板」そのものだったのです。

男は出来上がった「流れ板」のフィギュアを駅の前に置きました。それは、駅に着いた「流れ板」がこれから職を探しにいく、コミックの最初の場面でした。

ボクは息を飲んで続きを見守りました。

最終話:眼力のある審査員

男は出来上がった駅のジオラマを満足げに眺めていたのですが、しばらくすると思い切り良く壊し、次の場面を作り始めました。

次の場面は、どうやら料理勝負のクライマックスのようで、男は料亭の内部を作り上げると、登場人物たちも次々と作っていきました。

男は手際よく仕上げていき、ジオラマはほぼ出来上がり、残すのは勝負の決め手となる流れ板の食器とそれを判定する審査員だけになりました。

しかし、男はこの時点で手を止め、まだ制作途中のジオラマを満足げに眺めはじめました。

ボクはしばらく男が動き出すのを待っていたのですが、いつまで経っても男は制作を再開せず、じっと完成途中のジオラマを見つめているだけでした。

そのままずいぶん時間が経ってしまいました。やっと男は何かを決意したようにリュックの中から大事そうに食器を取り出し、流れ板の前にそっと置きました。

ボクはその食器を見て衝撃を受けました。それは今までの模型と違い本物の焼物で、それも見事な織部の小皿で、ジオラマに合わせて極小に作られていました。

ボクは勢いよく立ち上がると右手をまっすぐに上げ、「勝負あり、料理の腕は互角なれど、流れ板の食器に見るものあり」と流れ板の勝利を高々と宣言しました。まるで自分自身がコミックの中に入り込んだような高揚感があり、満足感で胸がいっぱいになりました。

ふと横を見ると、男も立ち上がってボクの同じように右手を高々と上げていました。なんとボクたち二人は審査員となってジオラマの一員になっていたのです。

まわりは無関心にコミックを読みふけっている中、ボクたち二人は右手を上げたまま、いつまでもいつまでも寄り添って立っていました。

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